クロワッサンシカゴのねごと

クロワッサンシカゴ(Croissant Chicago)の公式ブログ。

名前を呼ぶということ ―『ワルプルギスの廻天』を観て

※この記事は『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』のネタバレを全面的に含みます。未見の方はご注意ください。


13年ぶりの新作でしたが、何かを特に期待して行ったわけではありません。前作『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』の終わり方に不満はなかったためです。

また、この13年で他の作品からもたくさん影響を受けましたし、何より歳を重ねて、思春期の頃のように自分の価値観がひっくり返るような体験を作品に求めなくなった、というのが素直なところです。

そのうえで、観終わった感想は「好き」でした。

一度しか観ていないので記憶違いもあると思います。これは「一度観た人間の記録」として読んでください。

映像と、構成の話

世界観とアニメーションは本当に素晴らしかったです。劇団イヌカレーの異空間は相変わらず圧倒的で、2026年のクオリティでまどマギを観られたことには純粋に感謝しています。

解釈を観客に丸投げしてくる方向性も、私は嫌いではありません。全部説明されて終わるほうがつまらない。

ただ、構成はあまり上手くないと思ってしまいました。

前半、新キャラクター三人の掘り下げにかなりの時間を使います。その分、後半が駆け足に感じられた。クライマックスにもう少し尺が欲しかった、というのが正直なところです。情報量も多く、一度の鑑賞では処理しきれませんでした。

とはいえ、好きか嫌いかで言えば、好きです。以下はその話をします。

名前を呼んだ、最初の人

この映画の主役はマルグリートだと思っています。

かつて、まどかとまったく同じ願いを持った少女がいました。すべての魔法少女を救いたい、と。彼女の名前がマルグリートです。まどかより遥かに昔、まだ「魔女」という形式すら存在しなかった頃の人。

当時、力を使い果たした少女たちは、ただ呪いの姿を残すだけの、誰のものとも分からない何かになっていました。名前も、個性もない。

マルグリートは、その呪いを引き受けました。そして――彼女たちの名前を呼んだ。

そこから魔女に個別性が生まれ、名塚底根が成立した。そういう整理であっているかはわかりませんが、私はこれで腑に落ちました。名塚底根は、名前を失った少女に名前と姿を与え直す場所です。

つまりマルグリートは、誰にも救われなかった少女たちの名前を呼んだ最初の人なんです。あなたは誰々だ、と言った最初の人。

そして、その代償に自分の名前を忘れました。名前のない少女、ワスになった。

救済を発明した人が、救済されないまま放置される。この時点でもう十分に酷い話だと思います。

少し整理しておきます。ワルプルギスの夜は、公式には「複数の魔女の集合体」とされています。TV版の頃の公式説明では「誰も知らない誰かたちの集合体」でした。中身は、マルグリートと、彼女が引き受けた呪い。

そして「ワス」という呼び名。ワルプルギスの略にも読めますが、ラテン語の vās には「器」「容器」という意味があるそうです。集合体という性質と符合する、と書かれている方がいて、なるほどと思いました。

器には名前がない。器は誰でもないので。そして、その中にいるマルグリートの名前は、外からは見えない。

ちなみに、魔女文字を解読されている方によれば、ワスの指輪には ANONYMOUS と書かれているそうです。名前がない者、という意味の語です。公式の説明ではありませんが、これを知ってしまうと、制作が意図したものでしょう。

円環システムと、円環まどか

ここで、この記事の中だけの呼び分けをさせてください。

『叛逆の物語』のラストで、ほむらは円環の理からまどかを引き剥がしました。公式の説明によれば、ほむらが奪ったのは「人としての記憶」です。

そうすると、残ったほうは何なのか。

私の読みでは、魔法少女が魔女になる前に理へと導く、それだけの機構になったのだと思います。仕事はする。法則としては正常に動いている。でも、そこにいたはずの鹿目まどかがいない。

この記事では、それを 円環システム と呼びます。そして、鹿目まどかがまだそこにいた頃の、一人ひとりに優しさを向けてくれるほうを 円環まどか と呼びます。

実際、今作に出てくる円環の理は、言葉をひとつも発しません。機械のような存在でした。

魔法少女を救ってはいる。でも、名前を呼んでくれない。

ほむらがまどかから奪ったのは、まどか一人ではなかった。世界から、呼んでくれる人がいなくなったということでもあった。私はそう受け取りました。

ワスは、まどかを「マルグリート」と呼んでいた

ワスはまどかのことを、マルグリートと呼びます。救済者であるマルグリートを、円環の理の核であるまどかに重ねていたから、という整理をされている方がいました。

これはつまり、彼女にとって「マルグリート」がもう固有名詞ではなくなっているということです。

自分の名前を忘れたとき、名前だけが本人から剥がれて残った。そして残った名前は、「救済者」を意味する普通名詞になってしまった。だから救済者を見つけると、その相手をマルグリートと呼ぶ。

数百年間、彼女は自分の名前で他人を呼び続けていたわけです。それが自分の名前だとも気づかずに。

そしてこの呼び方は、彼女がまどかを何として見ていたかも示しています。役割です。救済者という機能の、現在の担当者。機能なら、誰が担当でも同じはずです。

名前を呼ばれる場面

この映画で一番好きなのは、まどかがマルグリートの名前を呼ぶ場面です。

「あなたの名前はマルグリート」

これは新しく名付けたのでも、思い出させたのでもありません。彼女が他人に貸し出していた自分の名前を、本人に返している。

ワスはずっと「あなたがマルグリートだ」と言い続けてきた。まどかは「いいえ、あなたがマルグリートです」と返した。

この場面には回想が挿入されます。

溶け合った魂の集合体の中から、一人の少女が取り出される。金髪でそばかすのある修道女。マルグリート。

名前を呼ぶというのは、溶けてしまったものの中から一人を見つけ出すことなんだと、この場面を観て思いました。

彼女が他の少女たちにしてきたことを、最後にまどかが彼女に返した。数百年越しです。ここだけで、この映画を観てよかったと思いました。

そして、ここからが大事なところだと思っています。

救われた側の実感としては、自分を救ったのは「円環の理」です。救われる瞬間に現れるのは円環まどかなので、それ以上の区別のしようがない。ワスも、たぶんずっとそう思っていた。だからまどかを役割の名前で呼んでいた。

でも、鹿目まどか本人と向かい合って、名前を呼ばれて、彼女は気づいたんじゃないでしょうか。

円環の理は、鹿目まどかという一人の少女が作ったものだった。あの優しさは、仕組みが持っていた機能ではなく、この子のものだった。

だとすれば、鹿目まどかの抜けた円環システムでは、本当の意味では誰も救えない。

円環システムよりも円環まどかが、円環まどかよりも鹿目まどかが上にくる。 マルグリートの中で、そういう順番になったのだと思います。

これは彼女だからこそ気づけたことでもあります。マルグリートは名前を呼んだ最初の人で、呼ぶという行為に何が必要かを、誰よりも知っている人だから。

ワスがまどかを円環に戻したがっていたのは、たぶん円環を壊すためではなく、元に戻すためでした。壊れているのは円環のほうで、足りない部品が鹿目まどかだと思っていた。でも実際に会ってみたら、部品ではなく本人のほうが答えだった。

だから最後、彼女はほむらの背中を押します。ほむらはまどかを円環から引き剥がした側で、ワスとは正反対のことをやってきた人なのに。

転向したというより、優先順位が変わっただけなんだと思います。二人が本当に望んでいたのは、鹿目まどかが鹿目まどかでいることだった。

なお、ワスの目的が何だったのかは、公式にはっきり書かれているわけではありません。以上は私が受け取ったものです。

クリームヒルト・グレートヒェン

まどかが魔女化した姿の真名は「クリームヒルト・グレートヒェン」です。この グレートヒェン は、ドイツ語で マルガレーテ ―― つまりマルグリートの愛称形なんですよね。

グレートヒェンには「小さなマルグリート」の意味が込められていて、自分を救済するものの名前に、かつて救済者だった自分の名前を当てはめる形になっている、と。

ワスがまどかをマルグリートと呼ぶのは、間違いではあるけれど、的外れでもなかったわけです。TVシリーズの頃から、まどかの中にマルグリートの名前は入っていた。

ずっと置かれていたものが、こんな形で意味を持つとは思っていませんでした。

同じことをしている人が、もう一人いる

ここまで書いて気づいたのですが、まどかがマルグリートにやったことを、ずっとやり続けている人がいます。

暁美ほむらです。

世界はまどかを「円環の理」と呼びます。役割の名前で。ワスがまどかを「マルグリート」と呼んでいたのと、まったく同じ構図です。

ほむらだけが、彼女を「鹿目まどか」と呼び続けている。

  呼ばれる人 役割で呼ぶ世界 名前で呼ぶ人
過去 マルグリート 救済者 鹿目まどか
現在 鹿目まどか 円環の理 暁美ほむら

つまりマルグリートを救ったあの場面で、まどかはほむらが自分にやり続けてきたことを、自分の手でやってみせたことになります。

だから、さやかのあの台詞が刺さるんです。

「あんただけは!まどかを円環の理って呼ぶな!」

最初は応援の言葉だと思っていました。違いますね。役割の指名です。

この場面のほむらは、まどか自身から愛を否定され、自分のやってきたことが鹿目まどかそのものを壊しかねないと突きつけられて、一度は折れかけています。そこにさやかが来て、正しさではなくエゴを貫けと言う。そのうえで「あんただけは」と限定する。

他の誰でもない、名前を呼ぶ役はあんたの仕事だと。

そしてこれを言うのが、さやかだというのが効いています。彼女は円環の使者として、理の側にいたことがある人です。今はそこから抜けて、現世にいる。円環の中がどういう場所か知っている人が、外から言っている。

この映画で、ほむらは悪魔と呼ばれ、敵として扱われます。でもさやかは、ほむらがやっていることの本質を名指しした。ここは本当に良かった。「さやほむ」が流行るのも頷ける。

「私はここにいるよ」

ここは解釈が割れるところだと思います。私が受け取ったのは、メリーバッドエンドでした。

ラストの流れを、覚えている限りで書きます。

ほむらが円環に攻撃を仕掛ける。次のカットで、ベンチにいるまどかに膝枕されて眠るほむらが映ります。ここだけ見ると、ほむらが勝ったように見える。

でもその次のカットで、円環がほむらを吹き飛ばす。膝枕は、そこで取り消されます。

そしてまどかが涙を流し、円環に向かって何かを訴える。その声は、こちらには聞こえません。

相手は、言葉を発しない機構です。答えられない相手に向かって、彼女は必死に何かを言っている。

そして、まどかが消える瞬間。

「私はここにいるよ」

声だけが響きます。ほむらは寝たままです。

TVシリーズ最終話でも、まどかは似たことをほむらに伝えていました。これからの自分はいつでもどこにでもいる、見えなくても聞こえなくてもそばにいる、と。

でもあのとき、ほむらは起きていました。その言葉を聞いて、記憶を持って生きていった。

今回は、届いていません。

この場面を「概念としてどこにでもいるのではなく、個としてここにいてくれた」と読んでいる方がいて、それは救いのある読みだと思います。

ただ私には、まどかが円環の理に戻った演出にしか見えませんでした。

終盤、まどかの言葉は二度、相手に届いていません。一度目は答えられない機構に。二度目は眠っているほむらに。名前を呼ぶことについての映画で、最後に言葉が届かなくなる。

そして、ほむらは穏やかな顔で眠ったまま残されます。

私にはこの寝顔の理由が、ほむらからまどかの記憶が消えたから、としか思えませんでした。あれだけのものを背負ってきた人が、あんな顔で眠れる理由が他に思いつかなかった。

ただ、記憶を失っただけなら、この映画の着地としては弱いんです。

ほむらがまどかの記憶を失うということは、まどかを名前で呼ぶ人が世界からいなくなるということです。

この映画は、それがどれだけ残酷なことかを、ずっと描いてきました。数百年間、誰にも名前を呼ばれなかった少女がどうなるかを、マルグリートで見せた。そのうえで、同じことをまどかにやった。

だから「まどか、それでいいのか」という声が上がるのも当然だと思います。観客は、それが何を意味するかをこの映画自身から教わっているので。

まどか役の悠木碧さんは、まどかがほむらに人生の主導権を返そうとしている人物だと語っていて、そちらなら「共依存からの自立」の物語になります。

ただ、パッと見て依存しているのはほむらのほうで、まどかがほむらに依存しているようには見えません。

でも、思い出してください。まどかはTVシリーズのラストで、ほむらにだけ記憶を残しました。

自分を鹿目まどかと呼んでくれる人を、彼女は一人だけ世界に残した。これを共依存と呼ぶなら、その解釈もありだと思います。二人を繋いでいたのは、互いに相手の名前を呼べる唯一の相手だったということになるので。

ただ、そう読んだところで、残酷さは何も変わりません。

まどかはほむらに呼ばれなくなり、ほむらはまどかの記憶を失う。どちらの方向からも、名前が途切れている。

描かれなかったこと

ここでもう一度、不満の話をします。

この映画、ラストを端折りすぎだと思っています。

まどかが消えて、ほむらが眠ったままで終わる。では、マルグリートたちはどうなったのか。あの場にいた仲間たちは、今回起きたことを覚えているのか。それとも忘れてしまったのか。

一切描かれません。

これが一番引っかかっています。なぜなら、名前を呼ばれて数百年ぶりにマルグリートに戻った少女が、それを保持できたのかどうか分からないからです。

名前を覚えていてもらうことについての映画が、一番大事な一人について、覚えていられたかどうかを描かずに終わる。

尺が足りなかっただけなのか、わざと空けた余白なのかは分かりません。ただ、私が一番良かったと思った場面の続きが見られなかったのは、単純に残念でした。

鳴り続ける電話

そして最後のカットです。

籠の中に置かれた電話。カメラが籠の内側に入り、そこへ手が伸びてくる。誰の手かは分かりません。

次のカットは別の場所で、受話器が外れたまま垂れ下がった電話が、鳴っている。

ちなみにこの映画、電話が何種類か出てきます。ほむらが作った「トカゲさん電話」、籠の中の「スカディ電話」、そしてまどかの家でワスが出現させたもの。最後に映るのは、ほむらの電話ではないようです。

観た直後の私は、これを「まどかが電話番を引き継いだ」のだと思いました。ほむらはもう眠っていて、電話を取る人がいない。だからまどかがその席に座り、いつかほむらがかけてくるのを待つ。そういう話なのだと。

その後いろいろ読むうちに、分からなくなりました。あの手はほむらだという人、まどかだという人、円環の理だという人がいる。手は白くて大きかったという記述もあり、それなら円環側かもしれません。そもそも電話の系統が違うなら、電話番を引き継ぐという私の読みも成り立たなくなります。

パンフレットには、籠の中のスカディ電話について「お前がまだ救っていない者がいる」という説明があります。もしそうなら、最後に映るあれは、救済する側を呼び出す電話ということになります。

余談ですが、ゲーム「魔法少女まどか☆マギカ Magia Exedra」に見た目が似た電話が登場します。私はこのゲームに明るくありませんが、その電話は並行世界と繋がる電話だそう。

結局、誰の手かは分かりませんでした。

そして、たぶんここが最後の逃げ道なんです。

まどかは名前を呼ばれなくなり、ほむらは記憶を失った。名前は両方向から途切れて、マルグリートのその後も描かれない。この映画をハッピーに解釈できる余地は、あの手の正体にしか残っていません。

名前についての映画が、最後に名前のない手で終わる。そして別の場所で、まだ誰も取っていない電話が鳴り続けている。

あれを誰の手だと呼ぶかは、観た人に委ねられているのだと思います。

私は、あれがまどかの手であってほしいと思っています。名前を呼ばれて鹿目まどかに戻った人が、今度は呼ばれるのを待つ側に回る。そういう話であってほしい。

余白、あるいは気になって仕方ないこと

最後に、主題とは関係ないけれど気になっていることを少しだけ。

ラスト、見滝原は巨大な壁に囲まれていて、その外は荒野になっています。誰がいつ作ったのかも、私にははっきり分かりませんでした。

引っかかっているのは、壁より荒野のほうです。

あれ、今回が初めてではないんですよね。TVシリーズ最終話のラスト、魔獣と対峙するほむらの周りも荒野でした。『叛逆』でキュゥべえの観測施設があったのも荒野の中です。

しかも気づいてしまったんですが、荒野が映るのは全部、まどかが円環の理になった後なんです。魔女が数百年存在していた時代に、見滝原の外が砂漠だったという描写はない。

もしかすると、まどかが円環の理になった代償が、あの荒野なのかもしれない。

たぶん考えすぎだし、答えも出ません。でも、あの背景をずっと「雰囲気」だと思って見てきたので、今になって落ち着かなくなっています。


というわけで、モヤモヤを抱えたまま、まだこの映画のことを考えています。

たぶんそれが、この映画の正しい観方なんだろうと思いつつ。

学マスを始めて75日、HIFに届くまでの備忘録

はじめに

プレイ75日目で手持ちアイドルの親愛度MAXを達成しました!友人に勧められて学園アイドルマスターを始めて、無課金・リセマラ無し。そこからここまでの経緯を備忘録として残しておきます。

日数 出来事
1日目 2周年引き放題ガチャでプレイ開始
〜30日目 ミッション消化とPLv上げ。初HIFで惨敗
37日目 強化月間の空千奈でHIF初クリア(PLv57)
60日目 強化月間なし、自力でHIFクリア
75日目 手持ちアイドルの親愛度MAX達成

音ゲーだと思っていた

アイドルマスターという名前から、完全に音ゲーだと思い込んでいました。触れたことがあるシリーズ作が『アイドルマスター ワンフォーオール』のみだったためです。

あと、長谷川白紙作曲「光景」は以前から聴いていたので、曲のクオリティが全体的に高いというのは知っていました。ライブ動画やMVでアイドルたちの曲を聴きましたが、「サンフェーデッド」「Wonder Scale」「clumsy trick」「グースーピー」など良曲揃いです。

ゲームを実際に始めてみると、体力とコストがあり、山札・手札があり、ターンが回る。デッキ構築型のローグライクです。最初の数回は、何が起きているのか本当に分かっていませんでした。適当にカードを切って、レッスンをこなして、試験で負ける。負けた理由も分からない。

何回かプロデュースしていると、負けているのは運が悪いからではなく、デッキの中身が悪いからだと気づきました。そこから見方が完全に変わりました。

PLvが上がると、選択肢が増える

学マスにはプレイヤーレベル(PLv)があり、これが上がるとプロデュース中に出現するスキルカードの種類が増えます。加えて、ドリンクや機能も追加されます。

「なんとなく強そうなカードを取る」から、「このカードが引けるなら、この組み立てができる」に変わる。同じアイドル、同じシナリオでも毎回違う構築ができるようになり、ここで一気に面白くなりました。

裏を返すと、PLvが低いうちは戦うための武器がまだ配られていない、ということでもあります。これは後で効いてきます。

ミッションを消化する日々

PLvを上げるためにミッションをひたすら消化し、並行して「アイドルへの道」を進めていました。報酬でカードが解放されるので、作業自体は苦になりませんでした。

いくつか明確に詰まったミッションがあったので、同じところで止まっている方のために残しておきます。

📝 詰まった人向けメモ

「プロデュースアイドル〇人の特訓段階を6にしよう」

特訓素材がまったくもって足りません。満遍なく上げるのはあとで大丈夫です。
この子と決めたアイドルの必要素材だけを優先交換しましょう。

「合計ファン数を〇人にしよう」

お仕事をちゃんと設定する。コンテストをやる。塵も積もれば、です。

「アイドルへの道」

APを消化しないで遊べるのでおすすめ。ただ難易度高めです。
トラブルを回避しながら応援効果を最大限利用しましょう。

このフェーズを飛ばすと、次の章のようになります。

初めてのHIF、そして絶望

2周年と同時に実装された新シナリオ、H.I.F(Hatsuboshi IDOL FESTIVAL)。ゲームを始めたのが、ちょうどこの実装と同じ時期でした。動画投稿者がHIFの話をしている中、解放されたから遊んでみるかと気楽に挑戦しました。

―…まったく歯が立ちませんでした。

HIFは要求スコアの水準が明らかに違います。高いPLvで解放されるカードを前提にした設計になっているためです。当時PLv50。手持ちアイドルも引き放題ガチャで引いた分が主で、編成の選択肢もほとんどありませんでした。

選抜試験の1次試験すら突破できません。開始時メモリーが足りていないので、「1次までに火力札を引けるか」の運ゲーになってしまいました。

強化月間という救済

そこで開催されたのがアイドル強化月間でした。

強化月間では、対象アイドルの固有スキルカードと固有Pアイテムが使えるようになります。普段の手持ちでは出せないスコアが、期間中だけ出せる。手持ちが薄い時期ほど恩恵が大きいイベントです。

ここで出会ったのが、【空と約束】倉本千奈——通称「空千奈」でした。

1100%!? 好調時のパラメータ上昇量です。こんなの許されるんですか。なんという救世主。

結果、37日目に姫崎莉波で優勝。HIF初クリアです。 このときのPLvは57でした。

しかも【「私らしさ」のはじまり】の特訓2という舐めっぷり…特訓素材が足りなくて。そんな状態でも、それまでどうやっても届かなかったラインをあっさり超えました。

ちなみにこの莉波はSRです。きついのはレアリティのせいではなく、PLvが足りず強カードを使えないからでした。カードさえ揃っていれば、SRでもRでも問題なくクリアできると思います。

でもこの攻略法は、強化月間対象アイドルでしかできません。

強化月間の外で、初めて勝つ

強化月間での勝利は借り物の力です。イベントが終われば元の手持ちに戻ります。次の目標は「強化月間の外で、自力で本選を突破する」ことにしました。選んだのはロジックです。

「キセキの魔法」という最強カードにハツボシエキスをぶつけるゲームです。

そして60日目、突破できました。空千奈での初クリアから、約3週間後です。

嬉しかったです。すべて自分の手札で、自分の判断で取った1勝だったので。

アノマリーで強引に突破する

自力での突破はできたものの、そこから先が伸びませんでした。

編成を組み替え、メモリーを厳選し、立ち回りを詰めても、ある一線を超えられない。理由は単純で、キャラパワーが足りていないからです。無課金2ヶ月ちょっとの手持ちには限界があります。

そこで、アノマリーによる強引な突破を試みました。

アノマリーは火力を出すためのループがわかりやすいです。「アイドルになります」と「フルスロットル」でバフ盛り→「オーバードライブ」→「巻き返し」→「始まりの笑顔」or「総合芸術」→「眠気」でループすれば、どうにかなります。

問題は、このループをどれだけ早く完成させるかです。その過程でたどり着いたのが、アイドル固有カードの削除でした。

なぜ固有カードを抜くのか

HIFはターン数が少ないシナリオです。 そのため、再行動カード以外がデッキに混ざると、それを使うだけでターンを1つ消費してしまいます。

つまり、火力の乏しいカードは「弱いカード」ではなく「ターンを奪うカード」になります。固有スキルカードであっても、この基準では例外になりません。抜いてしまったほうが理にかなっている、という結論になります。

そのアイドルの個性そのものであるカードを外すのは、正直かなり抵抗がありました。ただ、デッキ構築ゲームとして冷静に見れば、判断としては一貫しています。

ここまでやって、それでもカツカツです。余裕を持って勝てているわけではなく、毎回ギリギリ。ただ、届く範囲には入りました。

センスとロジックは、ドリンク運ゲー

問題は「センス」と「ロジック」しか持っていないアイドルたち。具体的に言うと広と千奈です。この2人はドリンク運ゲーで頑張りました。ドリンクさえあれば勝てます。

センスなら「立ち位置チェック」。ロジックなら「キセキの魔法」or「届いて」。これらをバフを盛りまくって最高打点で打てるかどうかです。Pアイテムが強いアイドルであれば、立ち回りは変わるでしょう。

そして75日目

こうして、手持ちアイドル全員の親愛度MAXにたどり着きました。

次はプリマステラ化を目指しますかね~

おまけ:手持ちのアイドルとサポートカード

ガラクタロード広&咲季、GOMYWAYことね&佑芽がガチャで引けたのがでかい。PLv低くても火力でゴリ押せる。交換で入手したのは【日々、発見的ステップ!】倉本千奈、【カクシタワタシ】紫雲清夏、【雪解けに】月村手毬、【桜フォトグラフ】葛城リーリヤ、【ENDLESS DANCE】秦谷美鈴です。

サポートカードでよく使うのは「いつまでも続けばいいのに(夏夜に咲く思い出)」「可愛いと可愛いで可愛い!(ティーパーティ)」「きみは、自慢の生徒です(信頼の証)」の3枚。特に「きみは、自慢の生徒です」は体力がのびるので、体力管理を気にしなくてよくなります。本当にありがたい。

これから始める方へ

  • PLvがそのまま戦力になります。
    レアリティより、使えるカードが揃っているかどうかです
  • ミッションは腐らせずに消化を
  • 強化月間は逃さないこと。手持ちが薄い時期ほど恩恵が大きいです
  • HIFなら、固有カードを抜く選択肢はありです

Wacom液タブをケーブル1本で繋ぎたい!Alt Mode接続をデスクトップPCで成立させる条件

最近の Wacom の液晶タブレットには、USB Type-C(DisplayPort オルタネートモード)による接続が搭載されています。

ケーブル1本で映像・入力がまとまるのは便利なのですが、デスクトップPC環境では「なぜか映らない」「構成次第で挙動が変わる」といった落とし穴も多く、情報もあまりまとまっていません。

今回、Thunderbolt対応マザーボード+ドック構成でWacom液タブを Alt Mode 接続する環境を安定して導入できたので、同じところで詰まりそうな人向けに、仕組みと注意点を含めて備忘録として残しておきます。

この記事の対象
  • Wacom Cintiq 16 (DTK168) でUSB-C(Alt Mode)で接続したい方
  • デスクトップPC+外付けThunderboltドック環境を構築したい方

Wacom の「USB Type-C(Alt Mode)」とは?

一言で言うと、USB-C ケーブルの中身を映像用の DisplayPort として使う仕組みです。

DisplayPort Alt Mode を使うと、

  • 液晶への映像出力
  • ペン入力・タッチ入力
  • タブレット本体の電源供給(機種・環境による)

を、1本の USB-C ケーブルでまとめて行えます。

Alt Mode は、受け手側(PC)が映像を Alt Mode として出せる構成かどうかに強く依存します。特にデスクトップPCでは、グラフィックボードの映像、CPU内蔵GPUの映像制御、マザーボードの配線設計が絡むため、条件を満たしていないと、物理的に映像が出ません。

まず超重要な結論

この接続はどのPCでもできるわけではありません。成立する条件は以下の通りです

  • CPUに内蔵GPU(iGPU)がある
  • DisplayPort IN(DP IN)を持つマザーボード
  • Wacom側は DisplayPort Alt Mode 接続

このどれかが欠けると映像は出ません。

  • Thunderbolt対応ドック

なお、Thunderbolt 対応ドックについては必須ではありません。今回は、PC周りの配線をできるだけすっきりさせたい、ケーブルの抜き差しを最小限にしたい、という理由から導入しています。構成次第では、マザーボードのThunderbolt/USB-Cポートから直接接続することも可能です。

今回の接続構成

  • 【CPU】Intel Core Ultra 9 285K
  • 【GPU】NVIDIA RTX 5080
  • 【マザーボード】ASUS ProArt Z890-Creator
  • 【Thunderbolt ドック】CalDigit TS5
  • 【液晶タブレット】Wacom Cintiq 16

今回の実際の配線は以下の通りです

  • RTX5080(グラボ)
    └ 【DisplayPort】 ProArt Z890-Creator(DP IN)
     └ 【Thunderbolt】 CalDigit TS5
      └ 【Thunderbolt】 Wacom Cintiq 16

ポイントは「グラボ → マザーボード → Thunderboltドック → 液タブ」という、
少し変わった経路を通していること。

なぜ液タブを“直挿し”するとダメなのか

理由:グラボの映像は自動でUSB-Cに流れない

デスクトップPCでは基本的に

  • 映像は グラボの DP / HDMI 端子からしか出ない
  • マザーボードの USB-C / Thunderbolt は 別系統

なので「USB-Cだから映るでしょ?」は成立しません。

DP IN があるマザーボードの意味

ProArt Z890-Creator にはDisplayPort IN(映像の入口)があります。

これを使うことで、「グラボの映像をマザーボードに一度戻しThunderbolt から出す」というルートが作れます。これがないマザーボードではこの構成は不可能です。

CPU内蔵GPU(iGPU)が必須な理由

この接続では、Alt Modeで出る映像は、CPU内蔵GPUが管理します

  • イラストの描画処理 RTX(グラボ)
  • 映像を外に出す整理役 CPU内蔵GPU(iGPU)

という役割分担です。ペン遅延が増えたり、描画性能が落ちたりは基本的にしません。

iGPUが無いとどうなる?
  • CPUに内蔵GPUが無い(F / KFモデルなど)
  • BIOSで内蔵GPUを無効にしている

この場合、「Thunderbolt側に映像を出す役がいない→映像が出ない」という結果になります。

Alt Mode のケーブルは Thunderbolt じゃなきゃダメなのか

結論:必ずしも Thunderbolt ケーブルである必要はありません

Wacom Cintiq 16 が使っているのは USB Type-C(DisplayPort Alt Mode)です。Alt Mode では、USB-C ケーブルの中の信号線をDisplayPort 映像用に使うという仕組みなので、Thunderbolt である必要はないです。でも、映像対応のUSB-Cケーブルが必要ということになります。

端子が USB-C でも、中身が全然違います。

なぜ今回 Thunderbolt ケーブルを使っているのかというと、「映像の確実性が高い」「相性問題が起きにくい」「ケーブル表記で悩まなくて済む」「考えなくていい」こと自体がメリット。

最後に

この構成は少し特殊ですが、

  • 液タブのケーブルを減らしたい
  • デスク周りをスッキリさせたい
  • Thunderboltドック中心の環境を作りたい

という人には、かなり快適です。この記事が同じ所で悩むクリエイターの助けになれば幸いです。

おすすめの機材

2025もゲームという娯楽に満ちていた

2025年も楽しいゲームライフを送ることができました。ゲームの発売日までに仕事を片付けることがモチベーションに直結しQOLを高めます。


祇(くにつがみ):Path of the Goddess

タワーディフェンス要素を取り入れた和風アクションゲーム。 タワーディフェンスは正直苦手なのですが、世界観とビジュアルに強く惹かれてプレイしました。 会話パートがほぼ存在しないため、ストーリーは断片的な情報から読み解く必要があります。人を選ぶジャンルではあるものの、ビジュアルに惹かれたなら十分「買い」。主題歌も非常に良かったです。なお、トゥルーエンドを見るには2周必須。

Caravan SandWitch

バンに乗って惑星を走り回るゲーム……かと思いきや、想像とは少し違いました。 どちらかというと「探索アスレチック」といった印象。 ライフもスタミナもなく、戦闘要素もないため、がっつり遊びたい人には向きません。ストーリーのオチも少々弱め。ただし、アートワークや世界観はとても魅力的で、のんびりしたいときに少しずつ進めるにはちょうどいい作品です。

首都高バトル

首都高バトルの新作。PSP版を遊んでいた身としては、懐かしさも相まって購入しました。レースゲーム自体は特別好きなジャンルではありませんが、首都高バトルは1レースが短く、テンポよく遊べるのが良い点。車をカスタマイズして速度やハンドリングを向上させていくのも楽しく、設定次第ではかなりヌルゲーにもできるため、レースゲームが苦手な人にもおすすめできます。

モンスターハンターワイルズ

『ワールド』『ライズ』を途中までしか触れてこなかった自分ですが、今作は上位クリアまで楽しくプレイできました。同じゲームを延々と周回するプレイスタイルではないため、大きな不満はありませんが、同一モンスターを倒し続けるのはやはり少ししんどい印象。とはいえ、フレンドとたまに周回する分には十分楽しめます。

Terraria

マインクラフト的要素を持つ2D横スクロールのハクスラ。MODを導入していた影響で敵が理不尽な強さになり、かなり歯ごたえがありました。マイクラ同様、地下採掘が生活の中心になるため、指が腱鞘炎になるのはもはや予定調和。UIが独特なので、そのあたりをもう少し自由にカスタマイズできたら嬉しいところです。

マリオカート ワールド

マリオカートシリーズは本作が初プレイ。フリーランでオープンワールドを走り回るのは素直に楽しいです。一方で、アイテム要素がかなり強く、どうしてもストレスが溜まりがち。そのため通信対戦はほぼやっていません。たまに家族で遊ぶ程度のライトなゲームとしては、ちょうどいいバランスだと思います。

Pokémon LEGENDS Z-A

前作『アルセウス』が良作だったこともあり、今作も安心して楽しめました。もともと過剰なボリュームは期待していなかったので、その点も含めて満足しています。不満点としては、ポケモンが指示を受け付けるタイミングがややシビアなこと、収集要素のリストがゲーム内に存在しないこと。ただ、キャラクターの魅力はさすがで、その点は高評価です。

Borderlands 4

ボーダーランズの新作。相変わらず登場人物はおかしな奴らばかり。今回はメインクエストよりも、サブクエストの方が面白かった印象があります。オープンワールドの利点があまり活かされておらず、移動時間が長いだけに感じる場面も多め。また、レベル上げが作業化してしまっているのも残念で、サブキャラに触れる機会が減ってしまいました。もう少しサクサク育成できる仕組みがあれば嬉しいところ。

デジモンストーリー タイムストレンジャー

今年一番の神ゲー。デジモン無印をリアルタイムで観ていた世代としては、刺さりすぎる一本でした。『デジモンワールド』のようなうんこゲー的飼育要素はありませんが、収録デジモン数がとにかく膨大で、それだけでも育成ゲームとして十分楽しめます。ストーリーもタイムトラベルものとして完成度が高く、総合的な満足度は非常に高かったです。


というわけでざっくり今年プレイしたゲームタイトルを列挙してみた。来年以降にも気になるタイトルがあるのでまだ死ねない。